戦争は日に日に熾烈さを増し、戦況は悪化の一途を辿り我が国の敗色漸く濃厚になった昭和19年12月、私は福岡市西部第46部隊に現役兵として入隊を命ぜられました。この年から徴兵検査は1年繰上となり、本来昭和20年に検査を受ける年齢の私達も1年上級の人たちと一緒に受けることになりました。またその前年には学徒動員が始まり、それまで徴兵を猶予されていた大学生も否応なしに入隊することになり、神宮外苑では盛大な壮行会が催されたと記憶しています。
大濠公園も今は福岡市民の安らぎの場所として有名ですが、入隊早々駆足で何周も走らされた処です。入隊後1週間して配属されるべき海南島純兵団の一員として、勇躍下関より関釜連絡船の金剛丸で朝鮮半島経由で上海までの旅に出発しました。昭和19年12月末は寒さがことのほか厳しく、玄海灘は大時化の為船は木の葉のように揺れ船酔いをしなかったのは私を含めて中隊で僅かに3名という惨惨たる状況でした。
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