「米国から見たIT社会への提言」 ロス在住:鶴亀氏
日本でも情報化社会への取り組みが始まっている。マスコミの報道でも連日ITの二文字紙面や電波で踊る。森首相を始め政財界のリーダー達も「IT立国」を呼び掛けているが、どれだけの人が実際にインターネットの持つ凄さを実感しているのか心許ない。インターネットを中核に置いた情報化社会の本当の創造力と破壊力は誰も知らない。想像するだけである。わずかながらでもその方向性と可能性の一端を理解するにはやはり自分でインターネットの便利さと同時に危うさも体験すべきである。工業化社会への一歩となった蒸気機関が英国で発明された時に、どれだけの人が今日の快適な生活や環境破壊などを予想する事が出来ただろうか?現在はバイオの世界がITと結び付き、バイオインフォマティクス(生命情報科学)がカリフォルニアなど世界の先端技術地で爆発寸前である。そこらはまた別の機会に扱うとして、今回のコラムでは電子商取引や電子政府やデジタル・スクールなど比較的身近な話題に絞りたい。と言っても個々のケースに言及するのではなく、それらを取り入れ、活用する上で共通する基本的な心構えについて話したい。
それは発想の問題である。情報化社会には情報化社会の発想が大切である。工業化社会の発想で情報化社会を進めようとすると過ちを起こす。日米を往復しながら政府や地方公共団体、更には私が接する企業経営者達の取り組みを見て、ITを語りながらもその発想は従来と変わらない事に一つの懸念を感じている。ネットベンチャーを育成すると言う事で、多額の税金を使って超立派なインキュベーション・センターが出来る。最先端と思った情報機器を高価な予算で入れる。しかし情報化社会での企業経営を教えられる人材はなく、機器はすぐに陳腐化してしまう。経営者にしてしかり。従来の経営手法の上にITを重ねようとしている。もちろん米国の経営者も同様な間違いをしている。しかし先行者としての試行錯誤や失敗の中から、少しずつ確かなものが生まれつつある。その一つがe-Leadershipと呼ばれるものである。
過去の成功体験が逆に足かせとなる時代になっている。現在米国では大企業も率先して過去に成功した方法を振り捨て、新しい時代の取り組みを始めている。IBMやAT&Tに勤務する私の友人達は滅多にオフィスに行く事はない。会社から支給されたラップトップで常に会社や同僚達と連絡を取り、会社の外でどんどん仕事を進めて行く。それは自宅であっても構わない。与えられた成果さえ上げ続けさえしたら。その方が社員一人一人の成績と満足度が上がる。となると課長や部長など従来の上司の立場はどうなるのか?社内の打ち合わせはどうなるのか?大企業になればなる程、会議の多いのが常である。離れて仕事をしていて勤務評価はどうするのか?私の友人はオレンジ・カウンティのコスタメサにオフィスがあるが、彼の上司はサンフランシスコのオフィスにいると言う。東京・大阪間より離れた距離である。連絡は電子メールで毎日行うが、実際に会うのは月に一度位だと言う。情報化社会は経営者を始め、私達全ての人間に取って初めての経験である。この中でのビジネスモデルの成功例はまだ生まれていない。これからである。参考にすべきビジネスモデルや経営手法を持ち得ない中でどのように経営判断をして行くのか?顧客との関係、社員との関係、株主との関係、仕入先との関係、地域との関係、宣伝広告の方法、営業の方法、在庫管理の方法、資金調達の方法、不祥事などに対する危機管理の方法、全てが変容を求められる。そこらへんの問題を十分に認識した上で、常におぼろげな霧の中で先を見極める能力がe-Leadershipである。私はその重要な要素は想像力と創造力であろうと思う。そしておぼろげな霧を恐れない勇気であると思う。経営者はもちろん、IT立国を唱える森首相を始め政財界のリーダーの皆さんにどれだけの要素が備わっているだろうか?(終わり)
|